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   豊 津 神 社

所在地 豊津町釜ノ口75
祭礼日 10月第3日曜日
祭  神 素盞鳴命 宇賀神


拝 殿
 豊川右岸の沖積地にある豊津地区の中央部でやや北よりに豊津神社があります。集落の中にあるので社叢は若木が多く、杉桧のつくる人口林です。
 明治年間の村の合併により豊津神社が作られました。八名郡誌によれば、成立の事情は大略つぎのようです。
 明治27年に日下部村の日下部神社へ、中島村の石宮神社を合祀して豊津神社と称しました。翌明治28年に井之嶋村の素盞鳴神社を併合して豊津神社に統一しました。三社を合併したので祭神は3柱となるはずですが、日下部神社の元和9年(1623)の棟札を見ると「奉造天王為宇治子御立願也」とあるので旧天王宮であったことがわかります。旧天王宮

鳥居と社号標石
は明治以降は祭神を素盞鳴命としてたようであり、井之嶋村の素盞鳴神社の祭神と同一神とゆうことになる。だから、日下部と井之嶋の祭神は同一神であるので、豊津神社の祭神は2柱の髪となっているのです。
 中島のお宮は石神(シャクジ)であって、石宮神とか作神とも書かれ、祭神は宇賀神となっている所が多いようです。
この石神は各地で神社の末社として祭られていることが多く、自然信仰に基づく古いお宮であると思われます。明治27年の合祀の時、本殿下から発見された石棒は、古い信仰を物語るもので、今も保存されているようです。


   天 王 宮 と 祭

 牛頭天王社の祭礼は大陰暦の6月15日でした。これは天王信仰が疫病退散を願う都市型の祭りであるために、疫病の危険のある夏祭りとなったものと考えられ、祭りに付随する花火も火による清浄化を願うためのものでした。
 この地方では豊橋の吉田神社や豊川の進雄神社の花火は有名です。



■豊津神社の笹踊

 豊津神社においても時期こそ違っていますが祭礼の日には盛大な花火が出されています。花火とともに笹踊も古くから行われていた神事で両者は密接に結びついたものでありましたが、今では花火ばかりが目立つようになりました。花火を出さない所でも笹踊のある祭礼は非常に多く、笹踊はこの地方の祭礼神事として特色があるものです。
 笹踊は胸に大太鼓をつけた者一人、小太鼓の者2人の計3人で警護のうたう囃し歌につれて踊るものです。装束は赤衣装に白足袋頭に市女笠をかぶっている。



笹 踊

東三河で素盞鳴命の牛頭天王を祭る二十数社において笹踊が行われていますが、その中の数社が、十七世紀末より十八世紀初頭の笹踊関係の記録をもっています。
こう考えると、笹踊は江戸の初期あたりに起源をもっと考えるのが妥当性があります。他社の笹踊との比較検討は省きますが、大同小異であり、特に火垢離の行事は現在中止している所も多いですが初期には全て見られていたようです。即ち、火の霊の力によって、踊手の清浄化を図るのです。こうして、穢を浄めた笹踊は神輿の渡御に当たって、その露払いとなり、又は護衛として奉仕しました。


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