所在地 |
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上長山町火防14 |
祭礼日 |
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10月第2日曜日 |
祭 神 |
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日本武尊 |
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拝 殿 |
白鳥神社は上長山の下地区の氏神様とおして崇敬されています。境内地は宝川の支流に沿っています。社叢はシイ、クロガネモチ、クスノキなどに混じって杉、ヒノキが大きくそびえ、下方にはクチナシ、アオキ、ヒサカキなどが見られます。
東方の畑中に社号標石が立ち、一の鳥居をくぐって、宝川を渡り、二の鳥居越しに拝殿広場を見ることができます。北に社務所があり、西に東 |
面した拝殿があります。その奥に本殿がありますが鞘堂があって見ることは出来ません。拝殿は入母屋造瓦葺で、本殿は神明造柿葺で江戸中期の建築であるとゆうことである。
当社の慶長18年(1613)の棟札には「奉造立新社白鳥大明神」とあり、この地方では当社のみが白鳥神社です。国内神名帳には、「白鳥大明神 坐宝飯郡」とあることから当社こそ、往古の白鳥大明神なりと意見 |
幟 |
鳥居 |
もありますが、現在豊川市白鳥にも白鳥神社があり、どちらも決定的な資料を持ち合わせていない為、今のところは分からない状態です。 また、前記の棟札には「本願、彦坂四良衛門」という記載があります。
彦坂四郎右衛門は江戸初期に当地の代官だった彦坂九兵衛の弟にあたり、この地に移住してきたと思われます。このような有力者の崇敬をうけた神社でもあります。
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当社は何度も鎮座地を変えたという伝承があり、享保の神社縁記にも記されています。承応2年(1653)の棟札には「奉再興御本社白鳥大明神並新造立舞台宮居」とありますのでこの頃、現在地に移ったものと考えられます。 境内の石造物は明治、大正、昭和のものです。神社の整備も明治から少しずつ進み、昭和になって現状のようになりました。
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