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 一 宮 町 の い し ぶ み


 路辺の小さな道標は、ひっそりと息をひそめて、忘れ去られたようにたたずんでいます。これらの道標や鳥居、燈籠などの石造物は身近な風景の中に溶け込んだ、比較的親しみやすい文化財といえます。
 そこに刻まれた文章(銘文・刻銘)は、その建立された目的や年紀、建立者やその助成者名、製作した大工名など様々な情報を私たちに教えてくれます。
 一宮町内でもこれまでに100〜150基余りの石造物が紹介されています。実際はこれより多くのものがあると推察されますが、正確な数は定かではありません。道路拡幅などの工事に際して、別の場所に移されてしまったものもありますし、撤去され、あるいは埋められてしまい、見ることさえできなくなってしまったものも考慮する必要があります。さらには、存在すら忘れさられてしまったものもあるかもしれません。その中で、目を引くものとして、道標と町石を挙げることができます。
 道標は、いわゆる「みちしるべ」のことです。伊那街道や信州往還の分岐点などに建てられ、行き先や距離が刻まれました。今日の道路標識の役割を果たしました。
 また、本宮山へ至る道筋(本宮道)を示すものも多く残されています。本宮山頂には砥鹿神社の奥宮が所在することから、その参詣道として幾つかのルートがあったようです。町内に点在する10基余りの「本宮道」道標を線でつなぐと、その道筋を復元することができそうです。
 このほか、通常の道案内以外にも「一宮砥鹿神社道」道標のように特定の場所を示すものもありました。
 町石は、砥鹿神社の奥宮に至る本宮山の登山道に建てられた約5寸角の石製標柱です。町に丁の字をあてるものもあります。登山口の1町目から奥宮手前の50町目に至るまで立ち並び、幕末以降、盛んに寄進されたものと思われます。
 高野山や金毘羅山の町石はあまりにも有名ですが、近隣でも、鳳来寺山(南設楽郡鳳来町)や青峯山(二重県鳥羽市・志摩郡磯部町)など、信仰の厚い山では町石をみることができます。











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